心心所相応説のいみ
どのような意味があるんでしょうか。
これを知ったらもっと凛とした大人になれるでしょか。
心理論としては、46の心所(心理現象、これは上述の70ほどの法に含まれる)のおのおのが認識主体としての心と結びつき(相応、チッタサンプラユクタ、cittasaMprayukta)、心理現象が現れるという、心心所相応説をとる。また、心と相伴う関係にあるのではなく、物でも心でもなく、それらの間の関係とか力、また概念などの心不相応行法(しんふそうおうぎょうほう、チッタヴィプラユクタ・サンスカーラダルマ、cittaviprayukta‐saMskaaradharma)の存在を認めた。
業論としては、極端な善悪の行為をなしたとき、人間の身体に一生の間、その影響を与えつづける無表色(むひょうしき、アヴィジュニャプティルーパ、avijJaptiruupa)が生ずると主張した。これは現代では心理的影響と考えられるが、説一切有部はこれを物質的なものとみる。
百八煩悩
説一切有部は人間の苦の直接の原因を、誤った行為(業)とみ、その究極の原因を煩悩(惑)と考えた。すなわち人間の存在を惑→業→苦の連鎖とみ、これを業感縁起という。それゆえ人間が苦からのがれ涅槃の境地を得る(さとり)ためには、煩悩を断ずればよいことになる。このようにして説一切有部は108の煩悩を考え、この断除のしかたを考察した。すなわち四諦の理をくりかえし研究考察することによって智慧が生じ、この智慧によって煩悩を断ずるのである。すべての煩悩を断じた修行者は、聖人となり、阿羅漢(arhat)と呼ばれる。(これが涅槃の境地である。)
有余涅槃・無余涅槃
説一切有部はこの涅槃を二つに区別した。(1)まだ肉体が存する阿羅漢の境地は肉体的苦があるので不完全とみなし有余依涅槃と呼び、(2)阿羅漢の死後を完全な涅槃とみて無余依涅槃と称した。また釈迦(仏陀)は格段に優れた人格者とみなし、一般修行者は決して仏陀の境地には達せず、阿羅漢までしかなれないと考えていた。これによって大乗仏教が起こった可能性が高く、仏を目指さないからとして部派仏教を「小乗仏教」と大乗側が誹謗した原因となった。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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